1. 脂質が「シグナル」になる理由
脂質メディエーターは数秒〜数分単位で合成され、迅速に作用するため、
細胞が外界の刺激に応答する高速スイッチとして働きます。
特徴として:
- 膜内で局所的に生成される(空間制御が可能)
- 瞬時に量を変化させられる(時間制御が可能)
- 受容体(GPCR、核内受容体など)を介して強い細胞応答を起こす
細胞膜の“化学的スイッチボード”と言ってよい存在です。
2. PI(ホスファチジルイノシトール)とそのリン酸化誘導体
PIはイノシトール環にリン酸が付く位置に応じて機能が変わる多機能脂質です。
● 主な種類
- PI(4,5)P₂
- PI(3,4,5)P₃
- PI(3)P
- PI(4)P
■ PI3K/AKT 経路(細胞増殖・生存の中心)
- 増殖因子がRTKを活性化
- PI3KがPI(4,5)P₂ → PI(3,4,5)P₃に変換
- PIP₃を足場にAKTが膜にリクルートされ活性化
- mTOR, FOXO, GSK3βなどを制御し
- 細胞増殖
- 生存
- 代謝調節
へつながる
■ PTENは“逆反応”を行う抑制因子
PTEN:PIP₃をPI(4,5)P₂に戻す → 代表的な腫瘍抑制因子
がんではPI3K/AKT経路の恒常的活性化が極めて多い理由です。
3. PLC/PKC 経路:PI(4,5)P₂ → DAG + IP₃
ホルモンや成長因子がGPCR/RTKを刺激すると、
**PLC(ホスホリパーゼC)**が活性化します。
■ 反応
PI(4,5)P₂ → DAG + IP₃
● IP₃
- 小胞体からカルシウム放出
- 筋収縮・分泌・免疫応答を制御
● DAG(ジアシルグリセロール)
- PKCを活性化
- RasGRPを介してRas-MAPK経路にも影響
DAGは膜内で局所的に蓄積し、空間的に制御されたシグナルを作り出します。
4. S1P(スフィンゴシン-1-リン酸) ― 生命・死・移動を統合する脂質
S1Pはスフィンゴ脂質が代謝される過程で生成される、強力なシグナル脂質です。
● 主な機能
- 細胞生存促進(AKT活性化)
- 細胞移動(ケモカイン様効果)
- 血管新生
- 免疫細胞のトラフィック(T細胞のリンパ節移動)
● 受容体(S1PR1–5)
GPCRとして機能し、組織ごとに役割が異なる。
例:S1PR1 → T細胞の血管外移動を制御(免疫の中心)
● セラミドとの“バランス”が運命を決める
- S1P(生存)
- セラミド(アポトーシス)
この“スフィンゴ脂質レオスタット”が、がんや炎症反応の制御に関わります。
5. エイコサノイド(アラキドン酸代謝物) ― 炎症と恒常性のマスター制御
細胞膜のアラキドン酸から数十種類の生理活性脂質が生成されます。
■ COX経路(プロスタグランジン・トロンボキサン)
- PGE₂:炎症・発熱・痛み
- PGI₂:血管拡張・抗血小板
- TxA₂:血小板凝集・血管収縮
NSAIDsがCOXを阻害して炎症を抑えるのは有名です。
■ LOX経路(ロイコトリエン)
- LTB₄:好中球誘導(強力な炎症メディエーター)
- LTC₄, LTD₄:気道収縮(喘息で重要)
■ CYP経路(EETsなど)
- 血管弛緩
- 代謝調節
これらは炎症、免疫、がん微小環境の形成に深く関わります。
6. その他の脂質シグナル
● PA(ホスファチジン酸)
mTOR活性化や膜曲率制御に関与。
● LPA(リゾホスファチジン酸)
細胞移動・線維化・がん悪化に関与。
● MAG/FA誘導体(2-AG など)
エンドカンナビノイドとして中枢・免疫機能を調整。
7. 脂質メディエーターはネットワークとして働く
脂質シグナルは単独ではなく、
- 脂質代謝
- 膜ドメイン
- 受容体の局在
- 脂肪酸の組成
- 酵素群の局在
による巨大なネットワークとして統合的に働きます。
例:
- PI3K活性化 → 脂肪酸合成↑ → ラフト構造変化 → 受容体シグナル変化
- 炎症刺激 → PLA₂活性化 → PGE₂産生 → 免疫システムを再構築
がん細胞はこのネットワークを巧みに書き換えています。
まとめ
- PI系(PI3K/AKT, PLC)は増殖・生存の中心
- DAGはPKCとRasを活性化
- S1Pは生存・移動・免疫制御
- エイコサノイドは炎症と恒常性の中心
- 脂質シグナルは“膜”を基盤にした統合ネットワークとして働く