はじめに
前回は、遺伝子改変技術の全体像を概観しました。
今回は、現代の遺伝子改変を一変させた CRISPR-Cas9 の分子メカニズムを詳しく解説します。
この技術はなぜこれほど簡単で、正確で、強力なのでしょうか?
1. CRISPRとは何か?
CRISPRはもともと細菌が持つ「獲得免疫システム」です。
ウイルス感染を受けた細菌は、そのウイルスDNAの一部を自分のゲノムに取り込み、再感染時にそれを目印としてウイルスを切断します。
この仕組みを人工的に利用したのが
CRISPR-Cas9
です。
2. 基本構成要素
CRISPR-Cas9は、たった2つの要素で機能します。
① Cas9タンパク質
DNAを切断する“分子ハサミ”。
② ガイドRNA(gRNA)
切断位置を指定する“GPS”。
ガイドRNAは約20塩基の配列を持ち、標的DNAと相補的に結合します。
この「配列相補性」こそが、従来技術と決定的に異なる点です。
3. PAM配列 ― 切断の絶対条件
Cas9がDNAを切るには、標的配列の隣に特定の短い配列が必要です。
これを PAM(Protospacer Adjacent Motif) と呼びます。
代表的なCas9(SpCas9)では:
5′-NGG-3′
という配列が必要です。
PAMがない場所は、どれほどガイドRNAが一致していても切断できません。
4. DNA切断の仕組み
Cas9はDNAを二本鎖同時に切断します。
内部には2つのヌクレアーゼドメインがあります:
- RuvCドメイン
- HNHドメイン
それぞれがDNAの片鎖を切断し、二本鎖切断(DSB) が生じます。
ここからがゲノム編集の本質です。
5. DNA修復経路が編集を決める
DNAが切断されると、細胞は必ず修復を行います。
主な修復経路は2つです。
① NHEJ(非相同末端結合)
- テンプレート不要
- エラーが入りやすい
- 挿入・欠失(indel)が生じる
→ フレームシフトを起こしやすい
→ ノックアウトに利用
② HDR(相同組換え修復)
- 相同DNAテンプレートが必要
- 正確な修復が可能
- S/G2期で活性が高い
→ 外来配列の挿入が可能
→ ノックインに利用
6. なぜCRISPRは革命的だったのか?
従来技術(ZFNやTALEN)は:
- タンパク質を毎回設計する必要があった
- 作製が複雑
- コストが高い
一方、CRISPRでは:
- 設計変更はRNA配列のみ
- 合成が簡単
- 多重編集が可能
このシンプルさが、世界中の研究室で爆発的に普及した理由です。
7. 応用拡張技術
CRISPRは現在も進化しています。
dCas9(切らないCas9)
転写制御に利用可能(CRISPRi / CRISPRa)
ベースエディター
DNAを切断せずに塩基変換
プライムエディティング
より精密な配列書き換え
これらは今後の回で詳しく解説します。
8. 注意点と限界
CRISPRにも課題があります。
- オフターゲット切断
- HDR効率の低さ
- モザイク変異
- in vivo送達の難しさ
現在の研究は、「精度」と「安全性」の向上に向かっています。
まとめ
CRISPR-Cas9の本質は:
- 配列相補性で標的を指定
- Cas9が二本鎖切断
- 細胞のDNA修復機構を利用して編集
という極めて合理的な仕組みです。
この技術により、遺伝子改変は「特殊技術」から「日常的ツール」へと変わりました。