はじめに
がん組織は単なる腫瘍細胞の集団ではなく、免疫細胞、線維芽細胞、血管内皮細胞、細胞外マトリックスなどが複雑に絡み合う「腫瘍微小環境(tumor microenvironment, TME)」を形成しています。
このTMEにおける特徴の一つが、**代謝競合(metabolic competition)**です。限られた栄養資源(グルコース・アミノ酸など)をめぐってがん細胞と免疫細胞が競合し、その結果、免疫応答が抑制される現象が起こります。
グルコースをめぐる競合
がん細胞の解糖系優位(ワールブルグ効果)
- がん細胞は酸素存在下でも解糖系を亢進させ、グルコースを大量に消費。
- この結果、TMEにおけるグルコース濃度は著しく低下。
免疫細胞への影響
- **エフェクターT細胞(CTL、Th1、Th17)**は活性化に伴い解糖系依存度が増すため、グルコース欠乏で機能不全に陥る。
- Treg細胞は脂肪酸酸化やTCA回路を利用できるため、グルコース欠乏環境で優位に働き、免疫抑制状態を強化。
乳酸の影響
- がん細胞から大量に分泌される乳酸はTMEを酸性化。
- 酸性環境はCTLやNK細胞のサイトカイン産生を抑制し、逆にM2型マクロファージやTregの誘導を助長。
アミノ酸をめぐる競合
グルタミン
- がん細胞はグルタミン依存性を示し、TCA回路補充や核酸・脂質合成に利用。
- グルタミン枯渇環境ではT細胞活性が低下し、抗腫瘍免疫が抑制。
アルギニン
- 腫瘍関連マクロファージ(TAM)がアルギナーゼを高発現し、アルギニンを分解。
- アルギニン不足によりT細胞増殖・機能が阻害され、免疫抑制が増強。
トリプトファン
- 腫瘍や樹状細胞は**インドールアミン2,3-ジオキシゲナーゼ(IDO1)**を発現し、トリプトファンを分解。
- トリプトファン欠乏とキヌレニン蓄積がT細胞疲弊とTreg誘導を促進。
分子制御ネットワーク
- HIF-1α:低酸素環境でがん細胞の解糖系を強化。免疫細胞にも影響。
- mTORシグナル:栄養センサーとしてT細胞の代謝を制御。がんによる栄養制限下で抑制される。
- AMPK:エネルギー不足時にTCA回路や脂肪酸酸化を誘導し、免疫細胞の適応を助けるが、抗腫瘍機能は制限されやすい。
治療的意義
- 代謝阻害剤
- 解糖系阻害(2-DG)、乳酸輸送体阻害(MCT阻害剤)、グルタミン代謝阻害が開発中。
- がん細胞優位の代謝を抑制し、免疫細胞の機能を回復させる可能性。
- アミノ酸補充戦略
- アルギニン補充療法はT細胞活性化を促進。
- トリプトファン代謝阻害剤(IDO阻害薬)は免疫チェックポイント阻害剤との併用で臨床試験が進行。
- 腫瘍微小環境の再プログラミング
- 乳酸除去や酸性環境改善による免疫応答の回復。
- 微小環境の代謝を免疫療法と組み合わせる戦略が注目されている。
まとめ
腫瘍微小環境における代謝競合は、がん細胞が栄養資源を独占し、免疫細胞の代謝と機能を抑制するメカニズムです。グルコース・アミノ酸の奪い合いは免疫抑制をもたらし、がんの免疫回避戦略の一部として機能します。
この知見は、がん代謝を標的とした新規治療法や免疫療法の強化に直結する重要な研究テーマです。