はじめに
がん細胞は「ワールブルグ効果」により酸素存在下でも解糖系を優先し、ATP効率よりも乳酸を大量に生成・分泌することを選択します。かつて乳酸は「代謝のゴミ」と考えられていましたが、現在では強力なシグナル分子・免疫抑制因子として腫瘍微小環境(tumor microenvironment, TME)の制御に重要な役割を担うことが分かってきました。
乳酸と腫瘍微小環境
腫瘍における乳酸蓄積
- がん細胞は解糖系を亢進させ、ピルビン酸を乳酸に変換(乳酸デヒドロゲナーゼA, LDHA依存)。
- 乳酸はモノカルボン酸トランスポーター(MCT1/4)を介して細胞外へ排出。
- 腫瘍組織の乳酸濃度は健常組織より著しく高く、pH6.0台まで酸性化する場合もある。
乳酸の二重の役割
- エネルギー源:酸素十分な腫瘍細胞や線維芽細胞は乳酸を再利用し、TCA回路へ供給。
- 免疫抑制因子:免疫細胞の代謝とシグナル伝達を阻害し、抗腫瘍応答を抑制。
乳酸による免疫細胞抑制メカニズム
T細胞への影響
- 乳酸はグルコース取り込みと解糖系フラックスを阻害し、活性化T細胞のATP産生を低下。
- 酸性環境はインターフェロンγ(IFN-γ)産生を抑制し、細胞傷害活性を減弱。
- Treg細胞は脂肪酸酸化を利用できるため乳酸環境で相対的に優位となり、免疫抑制が強化。
樹状細胞(DC)への影響
- 高乳酸環境下で樹状細胞の成熟が阻害され、抗原提示能力が低下。
- IL-12産生が抑制され、Th1応答が弱まる。
マクロファージへの影響
- 乳酸はマクロファージを**M2型(免疫抑制型)**に偏向。
- HIF-1αやArginase-1の誘導を介して腫瘍促進性の炎症環境を形成。
NK細胞への影響
- 乳酸はNK細胞の細胞傷害活性を低下させ、腫瘍免疫回避を助長。
分子機構
- pH依存的効果:乳酸蓄積による酸性化は、TCRシグナルや酵素活性に直接影響。
- 受容体シグナル:GPR81(乳酸受容体)が腫瘍細胞や免疫細胞に発現し、免疫抑制性サイトカイン(IL-10)産生を誘導。
- NAD+/NADHバランス:乳酸代謝は細胞内の酸化還元状態を変化させ、転写因子やエピゲノム修飾に影響。
臨床・治療的意義
- 乳酸輸送阻害
- MCT1/4阻害剤により乳酸排出を抑制、腫瘍の酸性化を防止。
- 免疫細胞機能の回復が期待される。
- LDH阻害
- LDHA阻害剤で乳酸生成そのものを抑制。
- 腫瘍の代謝依存性を標的化。
- 免疫チェックポイント阻害剤との併用
- 抗PD-1/PD-L1療法の効果はTMEの代謝状態に左右される。
- 乳酸制御と併用することで効果増強が期待。
まとめ
乳酸は単なる代謝副産物ではなく、腫瘍微小環境における強力な免疫抑制因子です。T細胞やNK細胞の抑制、マクロファージやTregの活性化を通じて、がん免疫回避を助長します。乳酸シグナルを標的とした治療戦略は、がん免疫療法を強化する新たな方向性として注目されています。