はじめに
近年の研究により、乳酸は単なる「代謝のゴミ」ではなく、シグナル分子として免疫や腫瘍進展に影響を与えることが明らかになっています。さらに注目されているのが、乳酸がエピゲノム修飾を介して遺伝子発現を制御するという新しい知見です。2019年に報告された「ヒストンラクトイル化(histone lactylation)」は、代謝とエピゲノムを直接つなぐ革新的な発見でした。
ヒストン修飾と代謝のクロストーク
- ヒストンのリジン残基は、アセチル化・メチル化・クロトニル化など多様な修飾を受け、クロマチン構造と転写活性を制御します。
- これらの修飾基は細胞内代謝物(アセチルCoA、SAM、NAD⁺ など)に依存。
- **ラクトイル化(lactylation)**は、乳酸から生成されるラクトイル基がリジン残基に付加される新規修飾として発見。
ヒストンラクトイル化の分子機構
生成機構
- 細胞内で蓄積した乳酸はラクトイルCoAに変換されると推測されている。
- ヒストンアセチルトランスフェラーゼ(HAT, 例:p300/CBP)が基質特異性を拡張してラクトイル化を担う可能性が報告。
検出
- 質量分析や特異的抗体を用いた解析で、H3K18、H3K23など特定リジン残基にラクトイル化が存在することが確認。
生物学的意義
1. マクロファージ分極と炎症制御
- **炎症応答マクロファージ(M1型)**は解糖系が亢進し、乳酸を多量に産生。
- その結果、ヒストンラクトイル化が誘導され、**抗炎症・修復関連遺伝子(Arg1, Vegfa など)**が転写活性化。
- これは、炎症の急性期から修復期への移行を制御するフィードバック機構と考えられる。
2. 腫瘍微小環境における免疫抑制
- がん細胞由来の乳酸が免疫細胞に取り込まれ、ラクトイル化を介して**免疫抑制性プログラム(M2型マクロファージ誘導、Treg活性化)**を促進。
- これにより、腫瘍免疫回避が強化される可能性。
3. 幹細胞性とリプログラミング
- ヒストンラクトイル化は、幹細胞維持や細胞運命決定にも影響することが報告され始めている。
- 特にがん幹細胞やiPS細胞における代謝—エピゲノム連関の一端を担うと考えられる。
他のヒストン修飾との比較
- アセチル化:エネルギー状態(アセチルCoA)を反映。転写活性化に直結。
- メチル化:一部は転写抑制(H3K9me3など)、一部は活性化(H3K4me3など)。
- ラクトイル化:乳酸の蓄積を反映し、ストレス応答や免疫制御に特化した新しい層を付与。
臨床・治療的インプリケーション
- 腫瘍免疫療法との関連
- 腫瘍での乳酸蓄積は免疫抑制的エピゲノム環境を形成。
- ラクトイル化を制御することで免疫療法の効果を高められる可能性。
- 代謝阻害薬との併用
- LDHA阻害やMCT阻害により乳酸蓄積を抑制すると、エピゲノム修飾にも影響。
- 代謝—エピゲノムクロストークを利用した新規治療戦略が期待。
- バイオマーカー
- ヒストンラクトイル化のプロファイルは、腫瘍の代謝状態や免疫環境を反映する潜在的バイオマーカー。
まとめ
ヒストンラクトイル化は、乳酸が直接エピゲノム修飾に関わり、遺伝子発現を制御するという革新的な概念を提示しました。これは、代謝とエピゲノムの密接な統合を象徴する発見であり、がんや免疫疾患における新しい治療標的となり得ます。