肺がんの新たな弱点 ― FSP1を標的としたフェロプトーシス誘導
2025年に発表された本研究は、がん細胞の“酸化ストレス回避能力”に焦点を当て、脂質過酸化依存的な細胞死「フェロプトーシス(ferroptosis)」の抑制機構を生体レベルで明らかにしました。
特に、肺腺がん(lung adenocarcinoma)で重要な役割を果たすタンパク質 FSP1(AIFM2) に注目し、この分子を阻害することで腫瘍が自壊する現象を示した点が注目されます。
フェロプトーシスとは何か
フェロプトーシスは、鉄イオンの関与によって細胞膜の脂質が過酸化され、細胞が死に至る現象です。
これはアポトーシスやネクローシスとは異なる細胞死の形式であり、がん細胞がこれを回避する仕組みを持つことが知られています。
代表的な防御因子として知られるのが GPX4(グルタチオンペルオキシダーゼ4)です。
GPX4はグルタチオンを利用して脂質過酸化を除去し、フェロプトーシスを防ぎます。
しかし、GPX4の機能を失っても生き延びるがん細胞が存在することが分かり、その“第二の防御軸”としてFSP1が注目されてきました。
研究の新規性と意義
1. 生体内でのフェロプトーシス抑制を実証
これまでのフェロプトーシス研究は主に培養細胞で行われていました。
本研究では、マウスに遺伝子改変を導入し、腫瘍細胞内でFSP1やGPX4を個別に失わせる実験を行っています。
その結果、どちらの分子を欠損しても腫瘍の成長が大幅に抑えられ、脂質過酸化の蓄積が顕著に見られました。
つまり、「フェロプトーシス抑制こそが腫瘍形成に不可欠である」という生体レベルの証拠を提示した点が大きな成果です。
2. FSP1は“バックアップ”ではなく“主要軸”であることを発見
従来、FSP1はGPX4が働かないときに補助的に機能する程度と考えられていました。
しかし本研究では、in vitro(培養条件)ではFSP1欠損の影響が小さいのに対し、
in vivo(生体内)ではFSP1の欠損が腫瘍成長を強く抑制することが分かりました。
この結果は、腫瘍微小環境や生理的酸化ストレス下ではFSP1が不可欠であることを示しています。
言い換えれば、「実際の腫瘍環境において、がんはFSP1に強く依存して生き延びている」のです。
3. 患者腫瘍でのFSP1高発現と予後不良
ヒト肺腺がんの患者データを解析したところ、FSP1の発現量が高い腫瘍ほどステージが進行しており、
生存率が低下していることが確認されました。
このことから、FSP1は単なる実験的な分子ではなく、臨床的にも重要な腫瘍維持因子である可能性が高いと考えられます。
4. FSP1阻害剤による治療効果を確認
研究チームは、FSP1を特異的に阻害する化合物(icFSP1)を用いて、
マウスの腫瘍モデルおよび患者由来移植腫瘍モデル(PDX)で治療効果を検証しました。
その結果、腫瘍増殖が抑制され、生存期間も延長。
さらに、脂質過酸化を抑える薬剤を併用するとこの効果が失われたことから、
腫瘍抑制がフェロプトーシスの誘導によるものであることが裏付けられました。
5. GPX4よりも安全かつ選択的な標的の可能性
GPX4の全身阻害は致死的な副作用をもたらす可能性があり、臨床応用には限界があります。
一方、FSP1の欠損は生理的には致死ではなく、腫瘍での依存性が高いことから、
より安全かつ選択的な治療標的として期待されています。
脂質代謝とがん ― 新しい治療概念へ
本研究は、がんの「代謝的弱点」に焦点を当てた最新の成果です。
フェロプトーシスは単なる細胞死の一形態ではなく、
がん細胞が環境ストレスに適応し生き延びるための“防御壁”そのものです。
FSP1を狙うことで、この防御を崩し、がん細胞を自滅に追い込む新しいアプローチが見えてきました。
今後は、肺がん以外の腫瘍種におけるFSP1依存性の検証や、
FSP1阻害薬の安全性・有効性を評価する臨床試験が期待されます。
フェロプトーシス制御を利用したがん治療は、次世代の抗がん戦略として注目される領域になるでしょう。
まとめ
- FSP1は肺がんのフェロプトーシス抑制に不可欠な分子である
- FSP1を欠損または阻害すると腫瘍は自壊し、成長が止まる
- 患者腫瘍でもFSP1高発現は予後不良と相関
- FSP1阻害は新しいがん治療の選択肢となる可能性がある