ウイルス学シリーズ第4回:逆転写ウイルス ― RNAからDNAへ

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逆転写ウイルスとは

逆転写ウイルスは、RNAをDNAに変換して宿主ゲノムに組み込むという特殊な複製様式を持つウイルスです。
通常、遺伝情報は「DNA → RNA → タンパク質」という方向に流れますが、逆転写ウイルスはその逆、つまり「RNA → DNA」への情報変換を行います。この過程に使われる酵素が**逆転写酵素(Reverse Transcriptase)**です。


逆転写ウイルスの分類

分類代表ウイルスゲノム構造特徴
レトロウイルス科(Retroviridae)HIV, HTLVなど+鎖一本鎖RNA宿主ゲノムに組み込まれ、長期潜伏
ヘパドナウイルス科(Hepadnaviridae)B型肝炎ウイルス(HBV)不完全二本鎖DNADNAウイルスだがRNA中間体を経て複製

レトロウイルスの構造と複製過程

レトロウイルスの代表は**HIV(ヒト免疫不全ウイルス)**です。
その複製サイクルは以下のように進行します。

  1. 吸着と侵入
     HIVは宿主のCD4受容体およびCCR5/CXCR4補助受容体に結合し、細胞内へ侵入。
  2. 逆転写
     ウイルスRNAが逆転写酵素によって二本鎖DNAに変換される。
  3. 組み込み(インテグレーション)
     新たに合成されたDNAは宿主染色体に組み込まれ、プロウイルスとして存在。
  4. 転写・翻訳
     宿主の転写装置を利用してウイルスmRNAを合成し、タンパク質を翻訳。
  5. 組み立て・出芽
     新たなウイルス粒子を形成し、宿主膜から出芽して細胞外へ放出。

この「宿主ゲノムへの組み込み」という特性が、持続感染や治療の難しさの原因となっています。


HIV(ヒト免疫不全ウイルス)

疾患: AIDS(後天性免疫不全症候群)
標的細胞: 主にCD4陽性T細胞、樹状細胞、マクロファージ

病態の流れ:
感染初期には一過性の発熱・リンパ節腫脹を示し、その後数年にわたり無症候期を経て、CD4陽性T細胞の枯渇により免疫不全が進行します。
日和見感染(カリニ肺炎、サイトメガロウイルス感染など)やがん(カポジ肉腫)が発症します。

治療:
現在は**多剤併用療法(HAART)**によってウイルス増殖を抑制可能であり、慢性疾患としてコントロールされています。


HTLV(ヒトT細胞白血病ウイルス)

疾患: 成人T細胞白血病(ATL)
感染経路: 母乳、輸血、性的接触

HTLV-1は、ヒトのT細胞に感染し、長期間潜伏したのちにがん化を誘導することがあります。
このウイルスの研究は、「がんウイルス学」の発展に大きな役割を果たしました。


B型肝炎ウイルス(HBV)

分類: ヘパドナウイルス科(DNAウイルス)
特徴: DNAウイルスでありながら、複製過程にRNA中間体を経るという点で逆転写ウイルス的性質を持ちます。

疾患: 慢性肝炎、肝硬変、肝細胞がん
感染後、ウイルスDNAが肝細胞核内に**cccDNA(共価閉環型DNA)**として残り、再活性化の原因となることがあります。


逆転写ウイルスの意義と応用

  1. 分子生物学の発展に寄与
     逆転写酵素の発見(バルチモア、テミンら)は、遺伝情報の流れの常識を覆し、ノーベル賞を受賞しました。
  2. 遺伝子発現解析や医療応用
     逆転写酵素は現在、RT-PCRなど分子診断技術の基盤酵素として広く利用されています。
  3. ウイルスベクターとしての利用
     レトロウイルスは遺伝子導入ベクターとしても活用され、遺伝子治療や再生医療分野に応用されています。

まとめ

逆転写ウイルスは、RNAからDNAへの情報逆流という特異なメカニズムを持つ存在です。
HIVのように慢性感染を引き起こす一方、逆転写酵素は現代生命科学の根幹技術を支える道具にもなっています。
ウイルスの研究は「病原体」研究にとどまらず、生命の本質を問う学問でもあります。


次回予告

次回は「ウイルスと宿主の攻防 ― 免疫応答とウイルスの逃避戦略」をテーマに、感染防御と免疫回避の分子メカニズムを解説します。

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