空間オミックス解析が成熟するにつれ、単に
「どの細胞がどこにいるか」 だけではなく、
「どのパスウェイがどこで活性化しているか」
という “機能的な空間” を理解することが主要テーマになっています。
空間パスウェイ解析とは、空間位置情報と遺伝子発現データを用いて
組織内のパスウェイ活性を定量化し、空間的パターンとして可視化する技術
を総称します。
1. 空間パスウェイ解析が必要な理由
パスウェイ活性の空間分布は、以下のような生物学的問いに直接答えます。
- 腫瘍周辺でどのシグナルが活性化しているか?
- 免疫細胞が集まる領域でどの経路が作動しているか?
- 破壊された組織の周辺で代償的シグナルが生じているか?
- 腫瘍幹細胞ニッチはどんなパスウェイで特徴づけられるか?
組織の状態はパスウェイ活性の空間構造によって規定されるため、
空間パスウェイ解析=空間生物学の“機能的な心臓部” と言えます。
2. 空間パスウェイ解析で使われる主要手法
① GSVA(Gene Set Variation Analysis)
- 発現行列を gene set(KEGG、Hallmark 等)に基づきスコア化
- 非パラメトリック手法でロバスト
- VisiumやSlide-seqのようなスポットデータにも利用可能
利点:解釈しやすい・安定
注意点:解像度の低いスポットではノイズに注意。
② AUCell(Area Under Curve cell ranking)
- 特定の遺伝子セットが「発現上位に入るか」を定量化
- 単一細胞レベルの空間データ(Xenium, CosMx)と相性抜群
利点:dropout耐性が高い
用途:細胞ステートの空間評価
③ PROGENy(pathway-responsive genes)
- 幅広い上流シグナル(MAPK、PI3K、TNFα、TGF-βなど)を
実験的に定義された下流の反応性遺伝子セット に基づいて推定 - パスウェイ推定の精度が非常に高い
利点:解釈性と精度が両立
用途:がんの空間シグナル推定に最適
④ NMF(非負値行列分解)を使った“機能モジュール抽出”
- 空間発現データを NMF で分解し、
潜在的な機能モジュール(functional programs) を抽出 - 得られたモジュールを gene set enrichment で注釈付け
利点:未知のパスウェイや新規モジュールの発見につながる
用途:がん特異的な“プログラム”の空間構造発見
⑤ 空間自己相関統計(Moran’s I, Geary’s C)
パスウェイスコアの空間連続性(clustering)を評価し、
活性領域(hotspot) を同定できる。
例:
- WNT高活性領域
- Hypoxiaニッチ
- EMTドメイン
- IL6/JAK/STAT 活性の免疫抑制領域
利点:機能ドメインを客観的に抽出できる。
3. 空間パスウェイ解析のワークフロー
ステップ1:空間発現データの整形
- スポット or 細胞 × 遺伝子の発現行列
- 正規化・スケーリング
- デコンボリューション結果と統合も可
ステップ2:パスウェイスコアの計算
ツール例:
- GSVA / AUCell
- PROGENy
- Seurat: AddModuleScore
- Squidpy: enrichment
ステップ3:スコアの空間マッピング
可視化例:
- 空間ヒートマップ
- スポット毎のパスウェイスコア
- クラスタ境界への重畳
ステップ4:空間統計で領域特定
- Moran’s I(空間クラスタリングの有無)
- Hotspot解析(局所的高活性の同定)
ステップ5:生物学的解釈
- がん浸潤フロントで EMT + TGF-β が高い
- 腫瘍中心で Hypoxia + Glycolysis
- T細胞集積領域で IFNγ 活性が顕著
- CAFニッチで collagen synthesis + integrin signaling
「どの領域で何が起きているか」をパスウェイレベルで理解する。
4. 代表的な応用シナリオ(がん研究)
① 腫瘍浸潤フロント(invasion front)の機能構造
- EMT
- ECMリモデリング
- Integrin/FAK
→ 空間パスウェイががん細胞の浸潤を説明。
② 免疫抑制領域(immune-suppressive niche)の分離
- IL6–STAT3
- TGF-β
- PD-1 signaling
→ T cell exclusion の空間的根拠を示す。
③ 腫瘍幹細胞ニッチの活性シグナル
- WNT
- NOTCH
- Hedgehog
→ 位置特異的な幹細胞性の維持メカニズムを可視化。
④ 代謝空間地図(metabolic spatial map)
- Glycolysis
- Oxidative phosphorylation
- Hypoxia
→ 腫瘍中心と周辺部の代謝勾配を定量化。
5. 注意点:パスウェイ解析の限界
① パスウェイの重なり
多くの遺伝子が複数のパスウェイに属するため、
「どの経路が本質か」慎重に読む必要がある。
② スポットの混合の影響
Visiumではスポットが大きいため、
cell mixture 由来のパスウェイスコア になりがち。
→ デコンボリューションとの併用が必須。
③ パスウェイの方向性が読めない
mRNAレベルでは活性の方向(ON/OFF)や機能的結果は読めないことも多い。
まとめ
空間パスウェイ解析は、空間オミックスデータを
“機能的な地図” として可視化する強力な解析です。
- GSVA / AUCell / PROGENy などでパスウェイスコア化
- 空間統計(Moran’s I)で機能領域を抽出
- NMFで潜在機能モジュールを探索
- がん研究では浸潤、免疫抑制、代謝、幹細胞ニッチの解析に重要
空間構造 × パスウェイ という2軸を融合することで、
病態の深い“意味”にたどり着くことが可能になります。