第7回:空間パスウェイ解析(Spatial Pathway Analysis)―― 空間的“機能地図”で組織の生物学を読み解く ――

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空間オミックス解析が成熟するにつれ、単に
「どの細胞がどこにいるか」 だけではなく、
「どのパスウェイがどこで活性化しているか」
という “機能的な空間” を理解することが主要テーマになっています。

空間パスウェイ解析とは、空間位置情報と遺伝子発現データを用いて
組織内のパスウェイ活性を定量化し、空間的パターンとして可視化する技術
を総称します。


1. 空間パスウェイ解析が必要な理由

パスウェイ活性の空間分布は、以下のような生物学的問いに直接答えます。

  • 腫瘍周辺でどのシグナルが活性化しているか?
  • 免疫細胞が集まる領域でどの経路が作動しているか?
  • 破壊された組織の周辺で代償的シグナルが生じているか?
  • 腫瘍幹細胞ニッチはどんなパスウェイで特徴づけられるか?

組織の状態はパスウェイ活性の空間構造によって規定されるため、
空間パスウェイ解析=空間生物学の“機能的な心臓部” と言えます。


2. 空間パスウェイ解析で使われる主要手法


① GSVA(Gene Set Variation Analysis)

  • 発現行列を gene set(KEGG、Hallmark 等)に基づきスコア化
  • 非パラメトリック手法でロバスト
  • VisiumやSlide-seqのようなスポットデータにも利用可能

利点:解釈しやすい・安定
注意点:解像度の低いスポットではノイズに注意。


② AUCell(Area Under Curve cell ranking)

  • 特定の遺伝子セットが「発現上位に入るか」を定量化
  • 単一細胞レベルの空間データ(Xenium, CosMx)と相性抜群

利点:dropout耐性が高い
用途:細胞ステートの空間評価


③ PROGENy(pathway-responsive genes)

  • 幅広い上流シグナル(MAPK、PI3K、TNFα、TGF-βなど)を
    実験的に定義された下流の反応性遺伝子セット に基づいて推定
  • パスウェイ推定の精度が非常に高い

利点:解釈性と精度が両立
用途:がんの空間シグナル推定に最適


④ NMF(非負値行列分解)を使った“機能モジュール抽出”

  • 空間発現データを NMF で分解し、
    潜在的な機能モジュール(functional programs) を抽出
  • 得られたモジュールを gene set enrichment で注釈付け

利点:未知のパスウェイや新規モジュールの発見につながる
用途:がん特異的な“プログラム”の空間構造発見


⑤ 空間自己相関統計(Moran’s I, Geary’s C)

パスウェイスコアの空間連続性(clustering)を評価し、
活性領域(hotspot) を同定できる。

例:

  • WNT高活性領域
  • Hypoxiaニッチ
  • EMTドメイン
  • IL6/JAK/STAT 活性の免疫抑制領域

利点:機能ドメインを客観的に抽出できる。


3. 空間パスウェイ解析のワークフロー


ステップ1:空間発現データの整形

  • スポット or 細胞 × 遺伝子の発現行列
  • 正規化・スケーリング
  • デコンボリューション結果と統合も可

ステップ2:パスウェイスコアの計算

ツール例:

  • GSVA / AUCell
  • PROGENy
  • Seurat: AddModuleScore
  • Squidpy: enrichment

ステップ3:スコアの空間マッピング

可視化例:

  • 空間ヒートマップ
  • スポット毎のパスウェイスコア
  • クラスタ境界への重畳

ステップ4:空間統計で領域特定

  • Moran’s I(空間クラスタリングの有無)
  • Hotspot解析(局所的高活性の同定)

ステップ5:生物学的解釈

  • がん浸潤フロントで EMT + TGF-β が高い
  • 腫瘍中心で Hypoxia + Glycolysis
  • T細胞集積領域で IFNγ 活性が顕著
  • CAFニッチで collagen synthesis + integrin signaling

「どの領域で何が起きているか」をパスウェイレベルで理解する。


4. 代表的な応用シナリオ(がん研究)


① 腫瘍浸潤フロント(invasion front)の機能構造

  • EMT
  • ECMリモデリング
  • Integrin/FAK
    → 空間パスウェイががん細胞の浸潤を説明。

② 免疫抑制領域(immune-suppressive niche)の分離

  • IL6–STAT3
  • TGF-β
  • PD-1 signaling
    → T cell exclusion の空間的根拠を示す。

③ 腫瘍幹細胞ニッチの活性シグナル

  • WNT
  • NOTCH
  • Hedgehog
    → 位置特異的な幹細胞性の維持メカニズムを可視化。

④ 代謝空間地図(metabolic spatial map)

  • Glycolysis
  • Oxidative phosphorylation
  • Hypoxia
    → 腫瘍中心と周辺部の代謝勾配を定量化。

5. 注意点:パスウェイ解析の限界


① パスウェイの重なり

多くの遺伝子が複数のパスウェイに属するため、
「どの経路が本質か」慎重に読む必要がある。


② スポットの混合の影響

Visiumではスポットが大きいため、
cell mixture 由来のパスウェイスコア になりがち。
→ デコンボリューションとの併用が必須。


③ パスウェイの方向性が読めない

mRNAレベルでは活性の方向(ON/OFF)や機能的結果は読めないことも多い。


まとめ

空間パスウェイ解析は、空間オミックスデータを
“機能的な地図” として可視化する強力な解析です。

  • GSVA / AUCell / PROGENy などでパスウェイスコア化
  • 空間統計(Moran’s I)で機能領域を抽出
  • NMFで潜在機能モジュールを探索
  • がん研究では浸潤、免疫抑制、代謝、幹細胞ニッチの解析に重要

空間構造 × パスウェイ という2軸を融合することで、
病態の深い“意味”にたどり着くことが可能になります。

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