膵管腺がん(PDAC)における腫瘍内不均一性と細胞状態の可塑性を理解するうえで、**EMT(epithelial–mesenchymal transition)**は中核的な概念である。EMTは単なる形質変化ではなく、浸潤、転移、治療抵抗性と深く結びついた動的プロセスとして位置づけられている。
EMTとは何か ― 上皮性から間葉系への変化
EMTとは、細胞が**上皮性(epithelial)**の特徴を失い、**間葉系(mesenchymal)**の性質を獲得する細胞状態変化のプロセスである。
この過程では、
- E-cadherin(CDH1)などの細胞間接着分子の低下
- Vimentin、N-cadherin、Fibronectin などの間葉系マーカーの誘導
- 細胞極性の喪失と運動能の獲得
が段階的に生じる。
PDACでは、EMTはがん細胞の浸潤能・転移能を高める重要な仕組みとして理解されている。
完全EMTよりも hybrid EMT が転移に関与する
かつては、EMTは「上皮性 → 完全な間葉系」への一方向的変化と考えられていた。しかし近年の研究により、完全EMTを経た細胞が必ずしも転移に最適とは限らないことが明らかになってきた。
現在では、PDACを含む多くのがんで、
- 上皮性と間葉系の特徴を同時に保持する状態
- いわゆる hybrid EMT(部分的EMT、中間状態)
が、最も高い転移能を持つと考えられている。
Hybrid EMT状態の細胞は、
- 集団移動(collective migration)が可能
- 血中循環や転移先での生着能が高い
- 必要に応じてMET(間葉上皮転換)へ戻る能力を持つ
といった特徴を示す。
この点は、EPCとMPCが共存し、状態が固定されていないPDACの腫瘍生物学と強く一致する。
EMTと可塑性の高さの関係
EMTの本質は、単なる形質変化ではなく、細胞状態の可塑性(plasticity)を高めることにある。
EMTを部分的に獲得した細胞は、
- 増殖と浸潤を状況に応じて切り替える
- 治療ストレスに応答して状態を変化させる
- 微小環境(ECM、サイトカイン)に強く依存する
といった性質を持つ。
この可塑性こそが、PDACにおける
- 進行の速さ
- 再発率の高さ
- 治療抵抗性
を支える分子的基盤の一つである。
重要なのは、EMTが常にON/OFFされる固定的なスイッチではなく、連続的・可逆的な状態スペクトラムである点である。この理解は、EPC/MPCという二分法を超えた、より現実的なPDAC像を提供する。
EMT理解の臨床的意義
EMTを単独で抑制する戦略は、必ずしも臨床的成功を収めていない。しかし、
- EMTを誘導・維持する微小環境シグナル
- Hybrid EMT状態の安定化機構
- EMTと治療抵抗性を結ぶ分子経路
を理解することは、PDACにおける新規治療標的探索の基盤となる。
EMTは、PDACの「進展速度」「腫瘍内不均一性」「転移」「治療抵抗性」を貫く共通言語であり、その正確な理解なしに病態全体を捉えることはできない。