膵管腺がん(PDAC)の悪性度と可塑性を理解するうえで、がん細胞同士、あるいはがん細胞と微小環境との間で交わされるパラクリンシグナルは極めて重要な要素である。PDACは単一細胞の自律的進化ではなく、細胞集団としての相互作用によってその性質が維持・強化されるがんである。
PDAC細胞間のパラクリンネットワークが細胞運命を制御する
近年のシングルセル解析や空間解析から、PDAC腫瘍内では、
- EPC(epithelial program cells)
- MPC(mesenchymal program cells)
といった異なる細胞状態が、パラクリンシグナルを介して互いの運命を制御している可能性が示されている。
これらのシグナルには、
- 成長因子
- サイトカイン
- モルフォゲン(BMP、WNT、TGF-β関連分子)
などが含まれ、単に増殖を促すだけでなく、**「どの細胞状態を維持・誘導するか」**を決定づける役割を担う。
この視点では、PDACの不均一性はランダムな結果ではなく、ネットワークとして維持される秩序ある状態と捉えることができる。
EPCとMPCの相互維持ループの存在可能性
PDACにおいて注目されているのが、EPCとMPCが互いに依存し合う**相互維持ループ(mutual maintenance loop)**の存在である。
- MPCは、ECM改変因子やサイトカインを分泌し、腫瘍微小環境を再構築する
- その結果、EPCが生存・増殖しやすいニッチが形成される
- EPCは一方で、MPC状態の維持や再誘導を支えるシグナルを供給する
このようなループが成立している場合、特定の細胞集団のみを標的とする治療は、残存集団によって再び腫瘍が再構築されることになる。
この概念は、PDACにおける高い再発率と治療抵抗性を説明する理論的枠組みとして注目されている。
GREM1–BMP軸はEPC維持因子として注目される
こうしたパラクリンネットワークの中でも、特に注目されているのが
GREM1(Gremlin 1)–BMP(Bone Morphogenetic Protein)軸である。
GREM1はBMPの拮抗因子として知られており、
- BMPシグナルを抑制する
- 上皮性プログラムの維持に寄与する
ことが報告されている。
PDACでは、GREM1が特定のがん細胞集団や間質細胞から分泌され、BMPシグナルを局所的に制御することで、EPC状態の安定化に関与している可能性が示唆されている。
BMPシグナルは多くの場合、
- 分化誘導
- EMT促進
- 状態変化の方向付け
に関与するため、その抑制は上皮性・増殖性状態の保持につながる。
このことから、GREM1–BMP軸は、EPCとMPCが共存するPDAC腫瘍内で、状態バランスを制御するハブとして機能している可能性がある。
パラクリン制御という新たな治療視点
パラクリンシグナルを介した細胞運命制御の理解は、PDAC治療に新たな視点をもたらす。
- 特定の細胞状態を直接除去する
- 単一分子を阻害する
といった従来型戦略に加え、
- EPC–MPC間の相互維持ループを断つ
- 細胞運命を規定するシグナル環境を改変する
といったシステム全体を標的とする介入が重要になる。
PDACにおけるパラクリンネットワークは、可塑性・不均一性・悪性度を結びつける中核機構であり、その解明は次世代治療戦略の基盤となる。