研究

第6回:細胞近接解析(Cell–Cell Proximity Analysis)── 空間的相互作用を可視化し「組織構造の力学」を読む──

デコンボリューションにより各スポットの細胞構成が推定されると、次に重要となるのが
「細胞同士がどの位置でどの程度近接しているか」 を解析するステップです。

細胞近接解析は、組織内の ニッチ構造、免疫制御、がん-ストローマクロストーク、再生ニッチ などを理解する上で不可欠であり、空間オミックス研究の中心的解析になっています。


1. 細胞近接解析の目的

細胞近接(proximity)解析では、以下の生物学的問いを解くための定量化を行います。

  • どの細胞型同士が空間的に隣接しているか
  • がん細胞はどの細胞と preferential に接触しているか
  • 免疫細胞はどこで集積し、どこに排除されているか
  • niche はどこにあり境界はどう形成されるのか
  • 空間構造が病態(腫瘍悪性度、炎症、線維化)とどう関連するか

これらを数理的に扱うことで、空間的な“細胞社会”をデータ化する ことが可能になります。


2. 代表的な細胞近接解析アプローチ


① 距離ベース(distance-based proximity)

各スポット位置を座標として扱い、
細胞型 A と B の距離分布を比較する方法。

分析例:

  • AとBの最近傍距離(nearest neighbor distance, NND)
  • 平均距離 / 中央距離
  • Ripley’s K関数またはL関数(空間統計的クラスタリング)

用途:
がん細胞—線維芽細胞の偏った局在、免疫細胞の排除領域の検出など。


② 隣接スポットベース(adjacent spot analysis)

Visiumのような格子状データでは
六角形格子での隣接スポット(neighbors)を利用 できます。

例:

  • 各スポットにおける「隣接スポットの細胞型構成」
  • 隣接細胞の出現頻度をカウントし、統計的に enrichment を評価

用途:
TMEの「細胞の近接パターン」を可視化するのに広く利用。


③ 細胞型ペアの相関(co-occurrence analysis)

スポットごとの細胞型割合の相関をとり、
「同じ空間で出現しやすい細胞ペア」を見つける。

例:

  • CAF ↔️ M2マクロファージが高頻度で共局在
  • B細胞 ↔️ T細胞がリンパ濾胞を構成

用途: ニッチの定量化。


④ グラフネットワーク(graph-based spatial network)

スポットをノード、隣接関係をエッジとしたネットワークを構築し、
細胞型間の“つながり”をネットワークとして解析。

手法例:

  • RCTD, Squidpy の spatial_neighbors
  • セントラリティ解析(betweenness, degree)

用途:

  • がん浸潤フロントの構造化
  • 免疫細胞の交通路の発見
  • ストローマのネットワーク同定

⑤ 空間 ligand–receptor × 近接解析(高度応用)

単独の近接ではなく、
近接 + 発現量 + ligand–receptor の統合 が最新の実践。

例:

  • CellPhoneDB または NicheNet を空間加重で実装
  • 近接している細胞ペアのみで L–R を評価
  • 空間的に解釈可能な細胞間コミュニケーションモデルを生成

用途:

  • T-cell exhaustion の誘導ニッチ
  • CAF → 腫瘍の増殖促進シグナル
  • 免疫抑制性ニッチの同定

3. 実際の解析ワークフロー


ステップ1:細胞型マップの取得(第5回)

  • デコンボリューション
  • または単一細胞解像度(Xenium、CosMx)のデータ

ステップ2:空間隣接グラフを作る

ツール例:

  • Squidpy(python):空間グラフ構築の標準
  • Seurat:SeuratWrapper + RCTD など
  • Nobias:距離行列から独自構築

ステップ3:細胞ペアの近接スコアを計算

手法:

  • 距離の最小値・平均値
  • グラフ近接(network connectivity)
  • キー細胞(例:腫瘍細胞)を中心とした距離ヒートマップ

ステップ4:統計モデルで有意性を検定

  • permutation test
    → 細胞型の空間配置をランダムにシャッフル
    → 実測の近接度が有意に高い/低いかを評価

ステップ5:可視化(interpretation)

例:

  • 近接頻度ヒートマップ
  • 細胞ペアのネットワークプロット
  • がん浸潤フロントに沿った近接変化(line plot)
  • ニッチの地図化(cluster + proximity)

4. 近接解析の注意点


① 解像度依存の誤解釈

Visiumではスポットが大きく、
近接というより“共局在”の可能性もある。
→ デコンボリューションの精度が決定的に重要。


② 空間バッチ効果

切片位置で組織構造が変わるため、
単純比較は危険。


③ 細胞数の希少性の問題

わずかな細胞数が近接パターンを左右するので注意。


④ 近接 = 相互作用とは限らない

近いだけで相互作用があるとは限らない。
第7回の「空間パスウェイ解析」と統合して解釈する必要がある。


5. がん研究での応用例


■ 免疫細胞の排除構造(immune exclusion)

腫瘍中心部にT細胞が入れない構造を定量化。


■ CAF と腫瘍細胞の近接ネットワーク

線維化ニッチ、薬剤耐性ニッチの定量化。


■ 腫瘍幹細胞ニッチの位置特定

特定ECM・線維芽細胞・免疫細胞との結合構造。


■ 転移の前適応ニッチ

肝臓や肺での「先行微小環境」の空間構造解析。


まとめ

細胞近接解析は、空間オミックス解析において
“どの細胞同士が空間的に関係を持っているか” を定量化する技術です。

  • 距離解析
  • 隣接スポット解析
  • ネットワーク解析
  • ligand–receptor × 空間統合
  • ニッチの境界検出

これらを組み合わせることで、
組織構造の力学 を理解し、がんや炎症、再生の本質的プロセスを読み解くことができます。

第5回:scRNA-seq統合(デコンボリューション)─ 空間データに“細胞型情報”を与える核心技術─

空間トランスクリプトミクス(ST)の多くは、1スポットが複数の細胞を混在した バルク的なシグナル を持っています。
そのため、「スポット内にどの細胞型がどれくらい存在するか」 を推定する技術が不可欠です。

この推定が デコンボリューション(Deconvolution) であり、
scRNA-seq の高解像度データを参照しながら ST の解釈力を一気に引き上げます。


1. デコンボリューションが必要な理由

■ 1スポット=単一細胞ではない(Visiumでは直径約55 µm)

  • 実際には 5〜20個の細胞が混在
  • mRNA量も細胞ごとに大きく異なるため、細胞型の混合比は不明

■ scRNA-seq は「細胞型のライブラリ」を提供する

  • 各細胞型固有の遺伝子発現プロファイル
  • ST のスポット発現は、これらプロファイルの線形和とみなせる

→ scRNA-seq を教師データとして ST を分解するのがデコンボリューション


2. デコンボリューションの原理:線形モデル

ST スポットの発現ベクトル Y は、
scRNA-seq で得られた細胞型の平均発現 X と、混合比 W の積で表される:YXWY \approx XWY≈XW

  • Y:STスポット(遺伝子 × スポット)
  • X:scRNA-seq の「細胞型 × 遺伝子」発現
  • W:推定したい「スポット × 細胞型構成比」

各手法で最適化方法は異なるが、本質的にはこの線形モデルを解く問題。


3. 主要デコンボリューション手法(比較付き)


🔹 Cell2location(scVIベースのベイズモデル)

現時点で最も広く使われる手法の一つ。

  • scRNA-seq と ST のバッチ差を階層ベイズでモデル化
  • 空間内で細胞が存在しうる「確率密度」を推定
  • 空間内ニッチ解析にも強い

強み:発現量差やバッチ補正にきわめて強い
弱み:GPU が推奨、計算が重い


🔹 RCTD(Robust Cell Type Decomposition)

  • scRNA-seq を参照し、ST スポットの細胞型混合比を推定
  • シンプルな統計モデルでロバスト

強み:高速で導入が簡単
弱み:細胞型が似ている場合は分離が難しい


🔹 SPOTlight(NMF + Deconvolution)

  • 事前に NMF(行列分解)で特徴マトリクスを作る
  • Seuratとの統合が容易

強み:使いやすく、多くのワークフローに組み込みやすい
弱み:NMFの事前処理が結果に影響


🔹 Tangram(深層学習ベース)

  • scRNA-seq の細胞を ST へ “マッピング”
  • 空間的に最も整合的な細胞配置を探す
  • 細胞単位で座標を割り当てる点が革新的

強み:単一細胞空間再構築ができる
弱み:解釈性は限定的、ハイリソ計算が必要


🔹 DestVI(scVIフレームワーク)

  • スポット中の細胞型だけでなく
    細胞型内部の状態変化(substates)も推定
  • 病態モデルで強みがある

強み:細胞型の“状態”まで空間で解析可能
弱み:実装・解釈がやや難しい


4. デコンボリューション実装の実際(解析フロー)


ステップ 1:scRNA-seq で細胞型アノテーション

  • クラスタリング(Seurat/Scanpy)
  • マーカー遺伝子で精密に細胞型同定
  • サブタイプ整理(例:腫瘍細胞クラスターは1つにまとめる等)

ステップ 2:scRNA-seq 発現マトリクスを「参照」化

よくやる処理:

  • 低品質細胞の除去
  • 細胞型ごとの pseudobulk を作成
  • 必要に応じて DEGs を抽出

ステップ 3:ST データの前処理

  • 正規化
  • スポット品質のフィルタリング
  • 高可変遺伝子の選択

ステップ 4:デコンボリューション実行

例:Cell2location(python/scanpy)
例:RCTD、SPOTlight(R/Seurat)


ステップ 5:可視化

  • 細胞型存在確率ヒートマップ
  • スポット上の細胞型割合マップ
  • 隣接する細胞の量的関係を見る(第6回の内容につながる)

5. デコンボリューションの注意点(実験計画にも重要)


1. scRNA-seq の細胞型バイアス

腫瘍などでは酵素処理が強いと、上皮系が生き残りにくい
→ scRNA-seq の参照に上皮が少ない → デコンボリューションに影響


2. scRNA と ST のプラットフォーム差

  • 10x scRNA vs 10x Visium は比較的相性良い
  • Smart-seq2 vs Visium はバッチ差が大きい
  • Cell2location のようなバッチ補正が必須

3. 遺伝子の「ドロップアウト」

scRNA-seq はドロップアウトが多いため、
低発現遺伝子を使うと誤推定される可能性がある


4. 空間的に“存在しない”細胞が混ざるケース

例:血液細胞、脈管系細胞は局所的にしか存在しない
→ モデルが誤って全域に割り当てることがある
→ cell2location が比較的解決しやすい


6. デコンボリューションで研究がどう変わるか?(応用例)


■ がん腫瘍微小環境(TME)の構築図が得られる

  • CAF、内皮、マクロファージなどの局在
  • 腫瘍細胞の分布と相互作用

■ niche の境界が分かる

例:

  • 肝臓:門脈域 vs 中間帯 vs 中心静脈帯
  • 腸管:crypt vs villus

■ scRNA-seq では得られない spatial signature

デコンボリューションは
「細胞型 × 空間位置」の新しい軸を作る
→ 第6回の「近接解析」、第7回の「空間パスウェイ解析」へ直接つながる


まとめ

デコンボリューションとは:

  • 空間データのスポットに対して
    「どの細胞型がどれだけ存在するか」を推定する技術
  • scRNA-seq を参照として用い、線形モデル or ベイズモデルで推定
  • cell2location、RCTD、SPOTlight、Tangram、DestVI など多数の手法がある
  • 空間生物学の基盤であり、
    TME解析、ニッチ解析、がん幹細胞探索、臓器アトラス構築などに必須

第4回:空間オミックスの実験ワークフロー(前処理〜データ化まで)—Visium・Slide-seq を中心に“現場で本当に困るポイント”を整理—

空間オミックスは「データ解析が大変」という印象が強いですが、実際に最も失敗が多いのは実験の前処理段階です。
RNA品質、組織の固定条件、透過処理、逆転写条件——これらはいずれも空間情報の忠実度に直結します。

本記事では、Visium と Slide-seq をモデルケースとして、実験全体の流れと重要ポイントを詳しくまとめます。


1. 全体フローの俯瞰図

空間オミックスは、基本的に以下の 4 ステップで進みます。

  1. 組織の前処理(固定・凍結・切片作製)
  2. スライドへの貼り付け → 透過処理 → 逆転写
  3. ライブラリ作製(空間バーコード付き)
  4. シーケンス → 画像とのアラインメント → カウント行列化

Visium と Slide-seq は計測原理が異なりますが、本質的な流れは同じです。


2. 組織前処理:最も結果を左右するステップ

2-1. 凍結 vs FFPE:RNA品質は凍結が圧倒的に有利

  • 凍結(Fresh-frozen)
    • 利点:RNAが良好、遺伝子網羅性が高い
    • 欠点:形態保持が難しい、クライオセクション技術が必要
  • FFPE
    • 利点:臨床検体で普及、形態が安定
    • 欠点:RNA断片化 → 特にキャプチャ型では網羅性低下
    • Visium FFPE, CosMx, Xenium のように FFPE対応プラットフォームは増加中

研究目的が“網羅的な発現”であれば、可能な限り凍結を推奨します。


2-2. 切片作製(5–10 μmが標準)

  • Visium:10 μmが一般的
  • Slide-seq:10 μm
  • イメージング型(MERFISH など):通常 5–10 μm

失敗例:切片が厚すぎる

→ mRNAがプローブや基板に届かず、キャプチャ効率が下がる。

失敗例:切片が薄すぎる

→ 組織の形態が崩れ、細胞境界が不明瞭になる。


2-3. 組織固定・染色(H&E が標準)

  • Visium:
    • 染色前の methanol fixation が標準
  • Slide-seq:
    • 凍結切片をビーズ表面に貼りつけ
    • その後、methanol 固定 → 透過処理(permeabilization)

染色画像は後のアラインメント・セグメンテーションに必須なので、明瞭な H&E 画像を確保することが極めて重要です。


3. 透過処理(Permeabilization):成功の“分岐点”

細胞膜を壊して mRNA を取り出す工程ですが、
“過剰処理”と“処理不足”が直接ライブラリ品質に反映されます。


3-1. Visium の場合

  • スライド上に各組織で最適な透過時間があり、**Time course assay(最適化キット)**で決定する
  • 透過が不十分 → キャプチャされる mRNA が少ない
  • 透過しすぎ → RNA が拡散し、空間解像度が損なわれる

最適化せずに本番実験を行うと、スポット毎の UMI が極端に低くなる事故が非常に多いです。


3-2. Slide-seq の場合

  • マイクロビーズ表面のオリゴで mRNA を捕まえるため
    透過工程の効率=ビーズ再構成クオリティに直結
  • 透過不足 → RNA 回収量が激減
  • 透過過剰 → RNA が近隣ビーズに広がり“空間ブレ”が発生

Slide-seq は Visium と比べても“工程依存性が強い”ため、熟練者のプロトコールが事実上の標準になっています。


4. 逆転写・ライブラリ作製

4-1. 空間バーコードの取り込み

  • Visium:スポットごとにユニークバーコード
  • Slide-seq:ビーズごとのバーコード(後で座標を再構築)
  • RNA → cDNA → PCR → ライブラリ準備

逆転写効率は
RNA品質 × 透過条件 × 酵素の効率で決まります。

典型的なQC指標

  • ライブラリサイズ分布(Bioanalyzer)
  • PCRサイクル数
  • cDNAの総量
  • Spike-in の比率

5. シーケンス条件(読長・深度)

5-1. Visium

  • PE 100–150 bp
  • 1スライドあたり3–6億リードが推奨
  • 深度が浅いとスポットの発現が sparse になり、細胞型推定精度が落下

5-2. Slide-seq / Slide-seqV2

  • より高解像度(ビーズスケール)のため、Visiumより深度が必要
  • 1スライド 5–10 億リードが一般的
  • 実際には「深いほど良い」と言われる領域

6. 画像とのアラインメント(空間情報の回復)

6-1. Visium の場合

  • H&E 画像を取得
  • スポット配置は固定なので、
    Space Rangerが自動で位置合わせ
  • 正確なアラインメントは、細胞型投影の品質に直結

6-2. Slide-seq の場合(最大の特徴)

  • ビーズアレイをまず画像として取得 → 座標再構成が必要
  • Decode(ビーズバーコードの位置決定)→ マッピング
  • この reconstruction が精度低いと、すべての解析の精度が落ちる

Slide-seq の成功率は、この工程が 7〜8割を占めると言って過言ではありません。


7. カウント行列(gene × spot/bead)の生成

完成したデータは、最終的に

  • Visium:スポット × 遺伝子
  • Slide-seq:ビーズ × 遺伝子

のマトリクスとして出力されます。

この段階ではまだ“解析可能な空間データ”の入口にすぎません。
次回(第5回)はここから、

  • scRNA-seqとの統合
  • セルタイプ推定
  • デコンボリューション
  • ノイズフィルタリング
  • 正規化と空間平滑化

といった解析パイプラインを詳しく扱います。


まとめ

  • 空間オミックスの成功の8割は、前処理(試料・切片・透過)が支配
  • Visiumは“スポット固定”、Slide-seqは“ビーズ再構築”が鍵
  • シーケンス深度は十分に確保すべき(浅いと解析不能)
  • 画像アラインメントは空間解析の基礎になる

第3回:空間オミックスの分類学 —何が“全転写”を測り、何が“局在”を語れるのか—

空間オミックスは技術名が多く、一見すると“道具のカタログ”のように見えます。
しかし本質はシンプルで、**「何を測り、どの粒度で空間に固定するか」**という3つの次元で整理すると一気に理解しやすくなります。

本記事では、空間オミックスをキャプチャ型/イメージング型/ハイブリッド型の3系統に分類し、それぞれの

  • 測定原理
  • 得られる情報の解像度
  • 強み・弱み
  • 向いている研究目的
    を“研究設計の視点”から解説します。

1. キャプチャ型(Sequencing-based, Capture-based)

例:10x Visium、Visium HD、Slide-seq / Slide-seqV2 など


1-1. 原理:バーコード化された基板がmRNAを捕捉し、RNA-seqで読む方式

  • 組織切片をバーコード付き基板(スポット or ビーズ)に密着
  • mRNAがバーコード上で逆転写され、位置情報が付いたcDNAとして回収
  • 読み出しはRNA-seq(=網羅的・全転写)

1-2. 得られる情報

  • “スポット単位の全転写プロファイル”
  • スポットサイズは手法により異なり、一般には1スポット=複数細胞の混合
  • Visium HDやSlide-seqV2ではスポットが小型化し、より高解像度に近づく

1-3. 強み

  • 網羅性:ほぼ全遺伝子を対象にできる
  • スループットが高い:大面積を比較的容易にカバー
  • scRNA-seqとの統合(デコンボリューション)が標準パイプライン化

1-4. 弱み

  • スポット混合:単一細胞の分解能は理論的に得られない
  • 局在の議論は“スポット中心”に制限される
  • 空間解像度はイメージング型より粗い

1-5. 向いている研究

  • 腫瘍微小環境の大まかな構造把握(免疫浸潤パターンなど)
  • 組織内の“細胞集団の領域化”(epithelial/basal/immuneなど)
  • scRNA-seqから得られた細胞型を空間に投影したい場合
  • 大面積・複数検体を比較する解析(臨床検体向け)


2. イメージング型(Imaging-based, In situ hybridization)

例:MERFISH、seqFISH、CosMx SMI、Xenium、MERSCOPE など


2-1. 原理:mRNAをその場(in situ)で直接“見て数える”

  • 標的RNAに対するプローブを反復ハイブリダイゼーション
  • 色やフローの組み合わせ=バーコード
  • 組織内のmRNA分子を**点(ドット)**として検出

2-2. 得られる情報

  • 細胞レベル、場合により亜細胞レベルの位置情報
  • RNA分子の“個数・座標”が1分子単位で得られる
  • カバー遺伝子数は数十〜数千(機種により幅あり)

2-3. 強み

  • 空間解像度が最も高い(細胞境界・細胞間接触を精密に議論できる)
  • 細胞の局在・配置・近接などの空間パターン検出が得意
  • 混合がない:細胞単位で遺伝子を観察できる

2-4. 弱み

  • 網羅性が限定(ターゲット遺伝子パネル方式)
  • 試料調整と画像解析が重い(取得画像量が膨大)
  • 装置コスト・運用コストが高い

2-5. 向いている研究

  • 腫瘍内の“ニッチ(微小環境)”の精密解析
  • シグナル局在(膜/核/細胞極性)などの観察
  • 細胞間相互作用の直接的推定(細胞境界情報が正確)
  • 特定パスウェイや免疫チェックポイントの高精度空間解析


3. ハイブリッド型(Spatial proteogenomics など)

例:NanoString CosMx(RNA+タンパクの並列)、Slide-tags、In situ sequencing 系 など


3-1. 原理:RNAとタンパク質を“空間で同時測定”または“核情報を空間タグ化”

  • RNAプローブと抗体ベースのプローブを並列
  • または、核に空間バーコードを付与 → 単一核RNA-seqで読み出す
  • 計測原理はイメージング型+シーケンス型が融合したもの

3-2. 得られる情報

  • RNAとタンパク質を同じ細胞・同じ座標で測定
  • タンパク質の局在(膜・細胞質)を含むマルチモーダル空間情報
  • 核から抽出される“空間付きsnRNA-seq”など、新規手法も登場

3-3. 強み

  • 多層情報の統合(RNA+タンパク+空間)の一貫性
  • 細胞型推定の確度が高い
  • 機能的パスウェイを空間で直接検証しやすい

3-4. 弱み

  • 依然としてパネル方式が多い
  • キャプチャ型ほど網羅的ではない
  • 装置コストとデータ解析負荷が高い

3-5. 向いている研究

  • 腫瘍免疫微小環境(TIMEs)の精密解析
  • タンパク局在を含む“機能的空間マッピング”
  • バルク/単一細胞/空間を一体化したプロジェクト


4. 研究者がまず決めるべき“3つの判断軸”

空間オミックス選択の最短ルートは、この3点です。


① 解像度:細胞単位で見たいのか、領域単位で十分か?

  • 単一細胞の配置/相互作用 → イメージング型
  • 組織全体の領域構造 → キャプチャ型

② 網羅性:全遺伝子を見たいか?特定のパスウェイか?

  • 全転写 → キャプチャ型
  • ターゲットパスウェイ(免疫、がん幹細胞など) → イメージング型 or ハイブリッド型

③ 試料条件:FFPEを使うのか?面積はどれくらいか?

  • FFPE多い → Visium FFPE, CosMx, Xenium
  • 大面積 → キャプチャ型が効率的
  • 細胞境界が重要 → イメージング型


5. 典型的な誤解とその回避法


誤解1:空間解析=“細胞1つ1つのRNAを地図にする”

→ キャプチャ型はスポット混合。
単細胞解像度はイメージング型でのみ達成可能。


誤解2:パネル方式は“情報が少ないから劣っている”

→ イメージング型は“局在”が主役。
特定パスウェイを空間で見たい研究では最強。


誤解3:細胞型推定はscRNA-seqで十分

→ 空間は“配置”が本質。
同じ細胞種でも隣接する相手によって状態が変わる(腫瘍免疫では常識)。
空間なしのscRNA-seqでは見えない層。



6. まとめ:空間オミックスは“問いによって道具が決まる”

  • 何を測る?(RNA/タンパク質/両方)
  • どんな解像度が必要?(領域/細胞/亜細胞)
  • 網羅性か局在精度か?
  • 試料制約(FFPE/凍結)

空間トランスクリプトームの設計図:試料からQCまで(Visium/Slide-seq系の現実的チェックリスト)

空間トランスクリプトーム(キャプチャ型)で結果が「読み物」になるか「ノイズの地図」になるかは、実験設計の最初の3つの選択でほぼ決まります:**試料(凍結/FFPE)→前処理(透過・酵素・時間)→画像/座標整合(整列)**です。

まず、キャプチャ型の代表例であるVisium系は、組織切片上のバーコード領域(スポット)にRNAを捕捉し、シーケンスで読み出します。解析面では、画像(明視野/蛍光)とシーケンス由来の特徴量行列を結びつける“空間整合”が中核で、この処理の標準化が結果の再現性を大きく左右します(Space RangerはVisium向けの標準パイプラインとして、画像整列・特徴量行列生成・二次解析の枠組みを提供します)。 10x Genomics+210x Genomics+2

次に、QCの実質は「スポットの中身をどこまで“単一細胞”に近づけられるか」に尽きます。キャプチャ型では1スポットが複数細胞を含み得るため、解析の前提として

  • 1スポット=混合(混合比が場所で変わる)
    を最初から織り込むのが安全です。ここでの失敗例は、スポットを“単細胞”として扱ってしまい、局所での発現差を“細胞型の差”だと誤読するケースです(逆に、混合の中に“希少細胞の署名”が埋もれることもある)。

Slide-seq/Slide-seqV2系は、ビーズ上の空間バーコードで解像度を高め、より細かい“近傍”の構造を拾いやすくする方向の技術です。研究例として、疾患文脈での局所的な細胞近傍(cell neighborhood)や局所的な応答プログラムの検出が報告されています。 Science+2PMC+2

最後に、実験設計の実務的チェックリストをまとめると、次が“最低ライン”です。

  • 試料:採取から凍結/固定までの時間(RINに相当する“劣化”の実感)
  • 切片:厚み・乾燥条件(過乾燥や過湿が透過の再現性を崩す)
  • 透過処理:過不足が検出遺伝子数に直撃(短すぎ→感度低、長すぎ→拡散・ブレ)
  • 画像整列:組織輪郭とスポット配列のミスマッチが“空間誤差”として全解析に波及
  • 解析の最初の可視化:遺伝子数/UMI分布、組織境界での急変、明らかなアーティファクト(裂け目・折れ・気泡)を先に潰す

この回の結論はシンプルで、空間解析は「生物学」より先に「幾何学(座標の正しさ)」が勝敗を分ける、ということです。

空間オミックス入門:キャプチャ型とイメージング型—距離・解像度・スループットの地図

空間オミックス(spatial omics)の核心は、“発現量”を“座標”に固定することです。従来のRNA-seqが「どの遺伝子がどれだけあるか」だけを返すのに対し、空間オミックスは「どの場所の細胞(あるいは微小領域)で、どの遺伝子が動いているか」を同時に返します。ここが、腫瘍微小環境・免疫浸潤・組織リモデリングの“因果の糸口”になるのが強みです。

空間オミックスは大きく二つの系統に分けるのが理解しやすいです。

  1. キャプチャ型(シーケンスベース)
  • 代表例:10x Genomics Visium(およびVisium HDなどの派生)
  • 何が起きる?:組織切片上のバーコード化された領域(スポット)でmRNAを捕まえ、cDNA化してRNA-seqとして読める形にする。
  • つまり得られるもの:“スポット単位の全体転写(ほぼ全転写)”(多くの場合、1スポットが複数細胞の混合を含む)
  • 解析の出発点:画像(明視野/蛍光)とシーケンス由来のカウント行列を整合させ、座標付きの遺伝子発現マップを作る(例:Space RangerはVisiumの標準パイプラインとして、画像整列と特徴量行列生成を担う)。 10x Genomics+210x Genomics+2
  1. イメージング型(in situ ハイブリダイゼーション系)
  • 代表例:MERFISH(multiplexed error-robust FISH)など
  • 何が起きる?:組織内のRNA分子を、反復ハイブリダイゼーション+読み出しで「遺伝子ごとのバーコード」を直接可視化する。
  • つまり得られるもの:細胞内(場合によっては亜細胞)まで含めた“分子座標”の精密地図(細胞境界や局在の議論がしやすい)。 PubMed+2Nature+2

さらに近年は、両者の“いいとこ取り”を狙う発展系も増えています。例えば、Slide-seq/Slide-seqV2はビーズ上のバーコードで高解像度に近づきつつ、シーケンスで読み出す設計(キャプチャ型寄りの高解像度化)で、実際の研究では組織内の「近接する細胞近傍(cell neighborhoods)」の検出に強いとされています。 Science+2PMC+2
また、Slide-tagsのように組織内の核へ空間バーコードを付与して、単一核プロファイリング系の入力に載せる発想(空間×単一核の橋渡し)も登場しています。 Nature

最後に、技術選定の“最短判断”は次の問いで決まります:

  • 問いが「細胞種(誰がいるか)」中心なら:scRNA-seq統合(デコンボリューション)前提のキャプチャ型が効きやすい
  • 問いが「細胞の配置・局在(どこにいるか)」中心なら:イメージング型の空間精度が効く
  • 臨床検体(FFPE等)での実装性が最優先なら:各プラットフォームの対応試料条件(FFPE/凍結)と感度の現実(検出遺伝子数)を先に当てる(商用/実装の差が結果の“見え方”を左右する)

第9回:インフルエンザ研究の最前線(ウイルス進化・宿主適応)

■ 1. インフルエンザ進化のドライバー:高変異率と再集合(リ・アソート)

インフルエンザウイルスが急速に進化する理由は主に2つあります:

●(1)RNAポリメラーゼの高エラー率

インフルエンザのポリメラーゼは校正機能がなく、
1回の複製で大量の変異を蓄積します。

→ 毎年の「抗原ドリフト」を駆動。

●(2)8分節ゲノムによる再集合(Reassortment)

異なるインフルエンザ株が同じ細胞に感染すると、
8つのRNAセグメントが混ざって新型ウイルスが生まれる

→ これが「抗原シフト」の本体。
→ 1918、1957、1968、2009年のパンデミックに関与。

最新研究では、再集合はランダムではなく、
特定のセグメント同士の相性やパッケージングシグナルの互換性が強く影響することがわかってきました。


■ 2. 宿主適応(Host adaptation):鳥 → ヒトへ

インフルエンザ研究の最前線では、「宿主の壁」を超える過程が詳しく解析されています。

●(1)受容体特異性:α2,3 → α2,6 シアリル基

  • 鳥インフルエンザ:α2,3結合シアル酸に結合
  • ヒトインフルエンザ:α2,6結合シアル酸を好む

宿主ジャンプには、HAのわずかなアミノ酸変異が重要。
例:Q226L、G228S など(H2/H3で有名)

近年の研究では、鼻腔の温度(鳥40℃、ヒト33℃)にも依存することが明らかになり、HA安定性が宿主適応に深く関与します。

●(2)ポリメラーゼ複合体の適応:PB2 E627K / D701N

パンデミックの鍵となる変異。

  • PB2 E627K:ヒト細胞での複製効率が劇的に向上
  • PB2 D701N:核移行効率が上昇

高病原性H5N1でも頻繁に観測される変異で、宿主適応の指標として研究が進んでいます。

●(3)NP、M1、NS1の宿主免疫逃避

  • NS1:IFN産生抑制の中心
  • NP・M1:パッケージングや宿主因子との相互作用で適応を補強

この複数因子の獲得が「人へ感染可能」への道筋になります。


■ 3. 伝播性の獲得:飛沫感染を可能にする条件

最新のフェレットモデル研究では、以下が伝播性の必須要因として注目されています:

●(1)HAのpH安定性

  • 低pHで早く解離すると、飛沫中での安定性が落ちる
    → 動物からヒトへの適応には 適度なpH安定化 が必要

●(2)HAの結合指向性(α2,6強化)

上気道の粘膜細胞に効率よく感染することで、ウイルス量が上昇。

●(3)ポリメラーゼの高効率化(PB2変異)

複製が高速化すると排出ウイルスが増加し、伝播性が高まる。


■ 4. ヒト集団免疫との「腕くらべ」:免疫エスケープ研究

最新のハイスループット中和マッピング研究では:

  • HAのどの部位に免疫圧がかかっているか
  • 次に変異しやすい“エスケープホットスポット”はどこか

が予測されるようになっています。

● 主な免疫エスケープ部位

  • HAの抗原決定基(Sa、Sb、Ca1、Ca2、Cb など)
  • NAの活性中心周辺

これらの部位への変異は、ワクチン更新に直接反映されるため研究が急速に進展。


■ 5. ユニバーサルワクチンへの挑戦

インフルエンザ研究の最前線の大きな目標は
「すべての型に効くユニバーサルワクチン」

● 有望なアプローチ

  • HA茎(stem)領域を標的とするワクチン
  • 多価ナノ粒子ワクチン
  • mRNAプラットフォーム
  • T細胞応答を強化するワクチン設計(NPやM1などを抗原に含める)

動物実験・初期臨床試験で順調に進んでいるものもあり、
10年スパンで実用化が期待されています。


■ まとめ

  • インフルエンザ進化は「高変異率 × 再集合」が駆動
  • 宿主適応には受容体特異性、ポリメラーゼ変異、免疫回避が必須
  • 伝播性獲得にはHAの安定性と複製効率が鍵
  • 最新研究は免疫エスケープの系統樹予測により、流行株推定精度が向上
  • ユニバーサルワクチンやmRNAワクチン開発が大きく前進

第8回:ワクチン開発の原理(不活化・生ワクチン・mRNA

■ インフルエンザワクチンの基本原理

インフルエンザワクチンの目的は、主にウイルス表面抗原である

  • HA(ヘマグルチニン)
  • NA(ノイラミニダーゼ)
    に対する中和抗体を誘導し、感染・重症化を防ぐことです。

抗原提示 → B細胞活性化 → 中和抗体産生
という免疫プロセスは、どの方式のワクチンでも共通しています。


■ 1. 不活化ワクチン(現在の標準)

● 特徴

  • ウイルスをホルマリンなどで「不活化」し、増殖できない状態で投与
  • インフルエンザの季節性ワクチンの主流(日本を含む多くの国で採用)

● メリット

  • 安全性が高い
  • 高齢者・乳児など幅広い対象に使用可能
  • 流行株に合わせた毎年の更新が容易

● デメリット

  • 局所・全身性の免疫が十分でないことがある
  • 効果の持続が短い(半年〜1年)
  • 何度も接種する必要がある

● 製造のポイント

  • ほとんどが鶏卵培養で生産される
  • 卵適応変異(egg-adaptation)が抗原性に影響することがある
    → ワクチン効果のばらつきの一因

■ 2. 生ワクチン(LAIV:弱毒化ワクチン)

● 特徴

  • 弱毒化されたウイルスを鼻腔内に投与
  • 米国など一部の国で使用(日本では通常使用されない)

● メリット

  • 自然感染に近い免疫応答
  • 粘膜免疫(IgA) が誘導され、感染防御効果が高い
  • 1回の投与で強い免疫が得られる

● デメリット

  • 基礎疾患を持つ人、乳幼児、高齢者には使用不可
  • ウイルスが非常に弱毒化されているとはいえ、生体内で増えるため注意が必要

● 独自の利点

鼻粘膜でウイルスが少し増殖 → 粘膜免疫・細胞性免疫が強く誘導
→ 不活化ワクチンより感染防御力が高いケースがある


■ 3. mRNAワクチン(開発が加速)

● 特徴

  • mRNAにHAなどの抗原情報を載せ、細胞に発現させる方式
  • COVID-19の成功を受けてインフルエンザでも複数の治験が進行中

● メリット

  • 栽培不要(卵に依存しない) → 株変更に迅速対応
  • mRNA配列の調整のみで更新可能
  • 粘膜以外でも高力価の抗体が誘導されやすい
  • 多価化が容易(複数HAを1本に混ぜるなど)

● デメリット

  • mRNA特有の副反応(局所痛・発熱)
  • 長期保存に低温が必要
  • 実用化は国や企業でまだ開発段階

● 期待される未来

  • パンデミック対応ワクチンとして極めて優秀
  • 「ユニバーサルインフルエンザワクチン」の開発に向けた応用が進む

■ 方式ごとの比較

方式免疫強度安全性製造スピード主な利用
不活化中程度高い中程度現在の季節性ワクチンの主流
生ワクチン高い(粘膜免疫)中程度中程度特定国での小児など
mRNA高い高い(非感染性)非常に速い開発中・パンデミック対応

■ まとめ

  • 不活化ワクチンは現在の標準で、安全性と安定性に優れる
  • 生ワクチンは粘膜免疫を誘導し感染防御力が高いが、対象者に制限
  • mRNAワクチンは迅速な製造と高い免疫誘導で、新しい選択肢として期待
  • インフルエンザの変異速度と流行動態を考えると、より柔軟なmRNAプラットフォームが今後の中心になる可能性が高い

第7回:抗インフルエンザ薬の作用機序と耐性

■ 抗インフルエンザ薬の分類

現在臨床で使用される抗インフルエンザ薬は大きく以下の 3 系統に分けられます。

  1. ノイラミニダーゼ阻害薬(NA阻害薬)
  2. キャップ依存性エンドヌクレアーゼ阻害薬(バロキサビル)
  3. M2イオンチャネル阻害薬(アマンタジン系)※現在は実質使用されない

A型・B型の双方に有効なのは NA阻害薬とバロキサビル です。


■ 1. ノイラミニダーゼ阻害薬(NA inhibitors)

● 代表薬

  • オセルタミビル(タミフル)
  • ザナミビル(リレンザ)
  • ラニナミビル(イナビル)
  • ペラミビル(ラピアクタ:静注)

● 作用機序

ウイルス表面の ノイラミニダーゼ(NA) は、感染細胞からウイルス粒子が離脱する際に必要な酵素です。
NA阻害薬はこの酵素をブロックし、以下を阻害します:

  • 感染細胞からのウイルス放出を阻害
  • ウイルスの拡散を抑制

発症後48時間以内の投与が最も有効。

● 耐性

代表的な変異:

  • H275Y(N1系):オセルタミビル耐性
  • R292K(N2系):ザナミビル以外に高度耐性

近年はワクチン接種率やウイルス遺伝子背景により、耐性株の流行は比較的抑えられています。


■ 2. バロキサビル(キャップ依存性エンドヌクレアーゼ阻害薬)

● 代表薬

  • バロキサビル マルボキシル(ゾフルーザ)

● 作用機序

インフルエンザウイルスはmRNA合成の際に
“cap-snatching”(宿主mRNAのキャップを切り取って利用)
を行います。

バロキサビルはこれに必要な酵素
PAサブユニットのエンドヌクレアーゼ活性
を阻害し、ウイルスmRNAの合成を封じます。

→ 増殖初期に強い効果を持つ「1回投与」の薬。

● 耐性

  • **I38T/M変異(PA遺伝子)**が最も有名
  • 感染後のウイルスから出現しやすいが、伝播力はやや低下することが多い
  • 小児で耐性が出やすいことが報告され、使用指針に影響している

■ 3. M2イオンチャネル阻害薬(アマンタジン系)

● 代表薬

  • アマンタジン
  • リマンタジン

● 作用機序

M2イオンチャネルの働きを阻害し、ウイルス侵入後の**脱殻(uncoating)**を阻止します。

● 臨床ではほぼ使用されない理由

  • A型のほとんどが S31N変異により高度耐性
  • B型には構造的にM2タンパクが異なるため 効果がない

■ 抗インフルエンザ薬の使い分け(概要)

薬剤系統作用する型特徴注意点
NA阻害薬A/B拡散阻害、実績豊富早期投与が必要
バロキサビルA/B1回投与、増殖初期を抑える耐性(I38T)が出やすい
M2阻害薬Aのみ脱殻阻害現在は耐性で使用困難

■ まとめ

  • NA阻害薬はウイルス放出を抑え、現在も標準的治療
  • バロキサビルはエンドヌクレアーゼ阻害により増殖を抑える新しい作用点
  • M2阻害薬は耐性蔓延により現実的には使用されない
  • いずれの薬も 早期投与が効果の鍵
  • 耐性は主にウイルスの表面タンパク(NA)やポリメラーゼ複合体(PA)の点変異によって生じる

第6回:季節性インフルエンザとパンデミックの生物学

■ 季節性インフルエンザとは

季節性インフルエンザは、冬季を中心に毎年流行を繰り返す感染症です。主に以下の特徴があります。

  • 抗原ドリフトによる小規模変異が免疫回避を引き起こす
  • A型(H1N1, H3N2)とB型の2種類が主に流行
  • 過去の感染・ワクチンによる免疫が部分的に残っているため、症状・致死率は比較的安定
  • 流行規模は地域ごとにほぼ毎年発生

● 季節性流行の成立要因

  1. 免疫の減衰(感染や接種から時間が経つと抗体が低下)
  2. 抗原ドリフトによる抗体逃避
  3. 冬季の環境要因(乾燥、低温でウイルスが安定化)
  4. 人の行動パターン(室内活動の増加)

■ パンデミックインフルエンザとは

パンデミックとは、世界的規模で短期間に感染が爆発的に拡大する現象です。

インフルエンザでパンデミックが起こる主因は、
抗原シフトによって新しい亜型が誕生し、人類が免疫を全く持たない状態で広がることです。

● パンデミックの特徴

  • 新しいHAまたはNAを持つ新亜型
  • 世界中で免疫がほぼゼロ → 感染が急速に拡大
  • 年齢分布が大きく変わる(若年者への重症化など)
  • 流行が1〜3年続く
  • 過去の例では致死率が大きく変動(1918年は非常に高い)

● 主なパンデミック

  • 1918年:H1N1(スペインかぜ)
  • 1957年:H2N2(アジアかぜ)
  • 1968年:H3N2(香港かぜ)
  • 2009年:H1N1(新型インフルエンザ)

これらはすべて抗原シフトによる新亜型が原因です。


■ 両者の生物学的違い

1. 抗原変異の規模

種類季節性パンデミック
主因小さな変異(抗原ドリフト)大変異(抗原シフト)
免疫の有無部分的にありほぼゼロ
致死率・重症度安定している変動が大きい

2. 宿主範囲の違い

  • パンデミックウイルスでは鳥・豚など動物由来ウイルスとの遺伝子再集合が重要
  • 人に適応するため、HAの受容体認識やPB2の宿主適応変異(E627Kなど)が獲得されることが多い

3. 感染の持続と世代交代

パンデミックウイルスは数年で季節性ウイルスへと“定着”します。
(例:2009年H1N1は現在の季節性H1N1になっている)


■ 季節性インフルエンザとパンデミックを区別する意味

  • ワクチン更新戦略の違い
  • 公衆衛生対応(渡航制限・休校措置など)の判断
  • サーベイランス体制の強化
  • ウイルス進化の監視(特に動物由来ウイルス)

パンデミックの初期には「感染力」「重症度」「宿主適応」の評価が急務となります。


■ まとめ

  • 季節性インフルエンザは抗原ドリフトによって毎年流行
  • パンデミックインフルエンザは抗原シフトで新亜型が誕生して起こる
  • 人類の既存免疫の有無が、流行の規模と重症度を大きく左右する
  • パンデミック株は最終的に季節性株として定着し、以後はドリフトで変化を続ける