デコンボリューションにより各スポットの細胞構成が推定されると、次に重要となるのが
「細胞同士がどの位置でどの程度近接しているか」 を解析するステップです。
細胞近接解析は、組織内の ニッチ構造、免疫制御、がん-ストローマクロストーク、再生ニッチ などを理解する上で不可欠であり、空間オミックス研究の中心的解析になっています。
1. 細胞近接解析の目的
細胞近接(proximity)解析では、以下の生物学的問いを解くための定量化を行います。
- どの細胞型同士が空間的に隣接しているか
- がん細胞はどの細胞と preferential に接触しているか
- 免疫細胞はどこで集積し、どこに排除されているか
- niche はどこにあり境界はどう形成されるのか
- 空間構造が病態(腫瘍悪性度、炎症、線維化)とどう関連するか
これらを数理的に扱うことで、空間的な“細胞社会”をデータ化する ことが可能になります。
2. 代表的な細胞近接解析アプローチ
① 距離ベース(distance-based proximity)
各スポット位置を座標として扱い、
細胞型 A と B の距離分布を比較する方法。
分析例:
- AとBの最近傍距離(nearest neighbor distance, NND)
- 平均距離 / 中央距離
- Ripley’s K関数またはL関数(空間統計的クラスタリング)
用途:
がん細胞—線維芽細胞の偏った局在、免疫細胞の排除領域の検出など。
② 隣接スポットベース(adjacent spot analysis)
Visiumのような格子状データでは
六角形格子での隣接スポット(neighbors)を利用 できます。
例:
- 各スポットにおける「隣接スポットの細胞型構成」
- 隣接細胞の出現頻度をカウントし、統計的に enrichment を評価
用途:
TMEの「細胞の近接パターン」を可視化するのに広く利用。
③ 細胞型ペアの相関(co-occurrence analysis)
スポットごとの細胞型割合の相関をとり、
「同じ空間で出現しやすい細胞ペア」を見つける。
例:
- CAF ↔️ M2マクロファージが高頻度で共局在
- B細胞 ↔️ T細胞がリンパ濾胞を構成
用途: ニッチの定量化。
④ グラフネットワーク(graph-based spatial network)
スポットをノード、隣接関係をエッジとしたネットワークを構築し、
細胞型間の“つながり”をネットワークとして解析。
手法例:
- RCTD, Squidpy の spatial_neighbors
- セントラリティ解析(betweenness, degree)
用途:
- がん浸潤フロントの構造化
- 免疫細胞の交通路の発見
- ストローマのネットワーク同定
⑤ 空間 ligand–receptor × 近接解析(高度応用)
単独の近接ではなく、
近接 + 発現量 + ligand–receptor の統合 が最新の実践。
例:
- CellPhoneDB または NicheNet を空間加重で実装
- 近接している細胞ペアのみで L–R を評価
- 空間的に解釈可能な細胞間コミュニケーションモデルを生成
用途:
- T-cell exhaustion の誘導ニッチ
- CAF → 腫瘍の増殖促進シグナル
- 免疫抑制性ニッチの同定
3. 実際の解析ワークフロー
ステップ1:細胞型マップの取得(第5回)
- デコンボリューション
- または単一細胞解像度(Xenium、CosMx)のデータ
ステップ2:空間隣接グラフを作る
ツール例:
- Squidpy(python):空間グラフ構築の標準
- Seurat:SeuratWrapper + RCTD など
- Nobias:距離行列から独自構築
ステップ3:細胞ペアの近接スコアを計算
手法:
- 距離の最小値・平均値
- グラフ近接(network connectivity)
- キー細胞(例:腫瘍細胞)を中心とした距離ヒートマップ
ステップ4:統計モデルで有意性を検定
- permutation test
→ 細胞型の空間配置をランダムにシャッフル
→ 実測の近接度が有意に高い/低いかを評価
ステップ5:可視化(interpretation)
例:
- 近接頻度ヒートマップ
- 細胞ペアのネットワークプロット
- がん浸潤フロントに沿った近接変化(line plot)
- ニッチの地図化(cluster + proximity)
4. 近接解析の注意点
① 解像度依存の誤解釈
Visiumではスポットが大きく、
近接というより“共局在”の可能性もある。
→ デコンボリューションの精度が決定的に重要。
② 空間バッチ効果
切片位置で組織構造が変わるため、
単純比較は危険。
③ 細胞数の希少性の問題
わずかな細胞数が近接パターンを左右するので注意。
④ 近接 = 相互作用とは限らない
近いだけで相互作用があるとは限らない。
第7回の「空間パスウェイ解析」と統合して解釈する必要がある。
5. がん研究での応用例
■ 免疫細胞の排除構造(immune exclusion)
腫瘍中心部にT細胞が入れない構造を定量化。
■ CAF と腫瘍細胞の近接ネットワーク
線維化ニッチ、薬剤耐性ニッチの定量化。
■ 腫瘍幹細胞ニッチの位置特定
特定ECM・線維芽細胞・免疫細胞との結合構造。
■ 転移の前適応ニッチ
肝臓や肺での「先行微小環境」の空間構造解析。
まとめ
細胞近接解析は、空間オミックス解析において
“どの細胞同士が空間的に関係を持っているか” を定量化する技術です。
- 距離解析
- 隣接スポット解析
- ネットワーク解析
- ligand–receptor × 空間統合
- ニッチの境界検出
これらを組み合わせることで、
組織構造の力学 を理解し、がんや炎症、再生の本質的プロセスを読み解くことができます。